3rd 闇に散った猛狼
魔獣、それは何らかの原因により通常の生物が巨大化し、自然のパワーバランスを崩してしまうほどの強力な個体の事を指すのが一般的だが、一部の者の見解は異なっている。
その見解とは諸説あるのだが、そのなかでも有名なのは『世界の破滅を導く』といった奇妙奇天烈な理論である。
しかしその理論の存在は広くても、信じる者はほとんどおらず、子供に対する言葉遊びであるという扱われ方が為されていて、ルーラシア達もそう信じている。
だが、その理論はあながち間違っていないかもしれない。彼女はそう思い始めていた。
「こいつ、魔法が効かないの?」
「……かもな。厄介なもんだぜ」
ライカの悪態が吹き抜ける闇の中、2人と1体の存在が眼光を互いにぶつけ合っている。
片方はそれぞれの武器を両手で構え、もう片方は闇に溶け込むようにしながら爪と牙、そして眼光を光らせていて、よく見ると、1m強はある巨大な狼のような姿だった。
しかも、さっきルーラシアに浴びせられた電撃は効果がなかったようで、怒りと殺意をたぎらせてルーラシアを睨んでいる。
「……これはまたヘビーなもんね」
「違いねぇ」
ライカは歯を食いしばり、ルーラシアは眉をつり上げる。それと同時に狼のうなり声も耳に入る。
どちらかが動きを見せればすぐに決着の時が来るであろうが、一分の隙が命取りとなる現状では迂闊に動くのは得策ではない。……ただ、隙を見つけるまで気を抜かないだけだ。
「…………」
もはや言葉も必要なかった。
相手の動きを把握し、それに対抗して戦う次元ではなく、野性的な直感における一瞬に命をかける、小細工無しの、真剣な殺し合いだ。
その間を、風が吹き抜けていく。海の潮に包まれた、湿気を纏う暗い風が。
「……ふっ!」
その風に合図でも送られたかのようにルーラシアは動いた。大刃の槍を振りかざし、狼型の魔物を叩き斬ろうと袈裟懸けに斬りつける。
しかし、ルーラシアの動きによって静の状態から解き放たれた狼はバックステップを決め込み、彼女の重い斬撃を回避する。
ルーラシアの斬撃は止まらない。重量武器は止めにくい上に、止める意志を持って重量武器など使おうものなら、相手に効果的なダメージを与えられない。なぜなら、ためらわずに思い切り振ることで最大限のダメージを与える事が出来るからだ。
そしてルーラシアの槍が空振ったと同時に、狼は隙だらけのルーラシアに飛びかかろうとする。
その手には鋭い爪が3本生えており、それで引き裂かれたなら人間の皮膚などはひとたまりもない。
しかしルーラシアはそれを分かっていながら避けるそぶりは見せなかった。……まるでその攻撃自体が存在していないかのように回転しながら槍の持つ勢いを消す。
そこに狼が迫る。回避はほとんど不可能だ。
しかし、狼はルーラシアの体を引き裂ける位置に来る寸前に身を翻した。そして直後、ライカの青龍刀が狼のいた空間を切り裂いた。
ライカは舌打ちする。
「……失敗したか」
「意外と賢いワンちゃんね」
「……お前、余裕だな」
ライカはほんの少しだけ呆れつつ、また狼の方へ向き直った。もちろんルーラシアと一緒に。
「他面だ!」
「りょーかい!」
ルーラシアとライカは一言交わすと二手に分かれて狼に狙いを定める。
……一方、狼はルーラシアの存在を警戒しつつ、頭をライカの方に向けた。どうやらライカの方を高脅威目標と認識したようだ。
「くたばりやがれ!」
ライカが気合いと共に青龍刀を振り下ろす。しかし狼の方はその一撃を躱すそぶりを見せず、代わりに大きな口を開いた。
がきり
鈍い金属音が辺りの闇に響き、吸い込まれた。
その中心地、そこではライカの刀が狼に食いつかれてその動きを止めていた。剣で言うつばぜり合いの格好だ。
ライカは刀を握る手にさらなる力を込め、歯を強く食いしばりながら押し切ろうとする。
しかし刀は全く動かず、狼の方もとてつもない力で押し込んでくる。
ライカの眉間に深い畝のように皺が寄った。しかし、その瞳は勝利を諦めるつもりは微塵もなかった。
一方、狼の後ろ側面に回り込んだルーラシアは、静かに槍を振りかぶった。
彼女の目の前にはライカと狼のつばぜり合いが映っていて、狼の方はこちらに気付いていながらも、ライカを倒せる自信があるのか、こちらにその牙を向けることはなかった。
……もらった。
ルーラシアは槍を力任せに横に薙いだ。
夜の塩が混じった空気を槍が引き裂き、黒い狼に襲いかかる。
「……くっ!?」
槍の刃が狼にぶつかる半瞬前、ルーラシアは腹部に走った激しい痛みに違和感を覚えつつも槍を振り切る。
彼女に手に鈍い衝撃が走った。
そして同時に狼は大きなうなり声を上げて、ライカの刀を加える力が急激に失われた。
「やるじゃないか」
ライカはルーラシアに聞こえるか分からない程度の小声で呟き、狼の口から力任せに刀を引っこ抜いた。
青龍刀は闇の中を鈍色の光で照らす。
「トドメだ!」
ライカは無我夢中に刀を狼の体に突き刺した。肉を突き破る嫌な感覚と共に、狼の血液が闇が覆う地面をさらにどす黒く染め上げていき、それは生を失っていった。
「……ルー、大丈夫か?」
「どう、かしら……」
ライカはルーラシアの元へ駆け寄ると、ルーラシアは腹部を押さえて膝をつき、肩で息をしていた。
大刃の槍は地面に落とされ、地面には彼女の血液らしき跡が残されている。
「……大丈夫じゃないみたいだな」
「まさか、……尻尾がとはね」
ルーラシアはライカに狼の尻尾を示した。
それは闇に紛れて少し見えにくかったものの、彼女たちを驚かすには充分な代物だった。
「こいつは、まさか!?」
ライカはその尻尾を慎重につまみ上げた。
狼の尻尾は非常に鋭利で、しなやかな外見からは及びも付かないほどの凶器で、それにルーラシアのものらしき血痕が少し残っている。
「油断したみたい……」
「ああ。確かにな」
ルーラシアは腰に巻いていた布をはぎ取り、傷口を無理矢理縛り上げた。しかし力が出ず、布はすぐに地面に落ちた。
「ちょっと痛くなるぞ」
ライカがその布を拾い上げてルーラシアに告げると、彼女はライカに軽く頷いて肯定の意を示した。
ライカが布をルーラシアの腹部に巻く。乱暴な応急処置だ。
「……ッ!」
「あ、わりぃ」
ルーラシアは痛みからか体をびくりと動かし、ライカもその動作につられるように驚いた。
腰布が縛られていく。薄いブルーで、血まみれの布がルーラシアの傷を強引に隠蔽していく。
「……朝を待った方がいいかもな」
「そうかも、……ねっ!」
ルーラシアはライカに支えられながら強引に立ち上がり、槍を杖のように持ちながらライカに肩を借りる。
すると、彼女たちの目の前の闇が引き裂かれていくのが見えた。ライカは余った手で空に映る光の線を指さした。
「ルー、見えるよな」
「うん」
彼女たちの前には眩い流星の姿があった。
黄色い光の帯を引いていくその姿は神秘的で、あまり見られない珍しい現象だった。
「……きれい」
「ああ。そうだな」
2人は流星に目を奪われていたが、それが消えると、近くの廃墟に身を隠し、頑丈な壁に背を預けた。
ルーラシアの息切れは収まってはきているが、未だに気は抜けなさそうだ。
「朝までアタイが見張るから、安心して寝ろよ」
「でも――」
「……いいんだ」
「うん」
ライカは穏やかな笑みをルーラシアに向けた。するとルーラシアはライカに小さく礼を言って、目を瞑った。
「……ごめんね」
ルーラシアは謝罪すると、すぐに眠りへとついた。穏やかな寝顔を浮かべて。
「……おやすみ、ルー」
ライカはルーラシアが眠ったことを確認すると、星があちこちで瞬き続ける夜空を見た。
……朝はまだまだ遠いみたいだったが、彼女には別に関係がなかった。