4th 黒く小さな介入者
(朝日って、こんなにきれいなものだったっけ……)
ルーラシアは混濁するような意識の中で思い、体を起こした。
……腹部が痛い。どうやらあの一瞬で深い傷を負わされていたみたいだった。
それでも、槍を杖代わりにして無理矢理立ち上がってみる。
喉がからからに渇いて体は泥まみれ、みっともないとは言わないが、この体たらくはみっともないかもしれない。
そしてあの怪物に止めを刺したライカは、足下で静かな寝息を立てている。
「……心配、かけちゃったみたいね」
ルーラシアは寝息を立てるライカにぽそりと洩らした。泥だらけで刀を握りしめたまま眠るライカは、ルーラシアの目に何となくまぶしく映った。
「……おっ、目を覚ましたんだ。よかったよかった」
「!?」
左上方から突如かけられた声に、ルーラシアは痛みを忘れて槍を向ける。その目つきは怪我をしたと思えないほどの力がこもっていて、女ではなくいっぱしの戦士のような気合いと殺意を放っている。
「……待って待って。オイラ、あんたらを捕って食う気なんて無いからさ」
「…………」
ルーラシアの眼前に浮かぶ物体はそう言って両手を前に突き出してひらひらと振り、彼女から数メートル離れた地面に降り立った。
「……ちっちゃい」
それが精一杯のルーラシアの感想だった。
おそらく身長――むしろ全高というべきか――は彼女の膝丈くらいの大きさしか無く、その姿は黒い翼付きのデフォルメトカゲという表現が適当だろう。
頭が非常に大きく、体は逆に小さく、2頭身くらいだろう。また手足は短いくせに手首や足首から先は大きいというおかしい比重の生物で、一応そのアゴには牙を備えているものの、つぶらで大きい目があるせいか、恐怖感はあまり感じない。
「えっと、……キミ、誰?」
「よくぞ聞いてくれました!!」
ルーラシアの質問を待っていましたとばかりに、トカゲらしき生物は口を大きく開き、短い足で地面を力一杯踏みしめた。
その姿を見てルーラシアは驚きと僅かな期待、そしてほんの少しの呆れを強引に心にとどめ、トカゲもどきはその口から言葉を吐き出して並べ続ける。
「オイラはラヴィ。住んでいた所では影魔(シャドウスキル)とか呼ばれてた種族だ。言っとくけど魔物の類じゃないよ。……まぁそれでだ。ここいらを通りかかった時にアンタらを見つけてさ、そのオレンジ色の髪の人がアンタを守るように寝てたわけさ」
「…………」
「それで、何でかな〜と思って覗いてみたら、アンタが怪我してたんだよね。ちょーどお腹のとこあたりの布に血が滲んでてさぁ、つい手を差し伸べたくなっちゃったわけさ。しかも寝顔を見ると、アンタが結構なべっぴんさんに見えたもんだから、助けたりして感謝されたらいいじゃない。良い感じじゃない? ……だもんだから、勝手に怪我を治療したわけなんだ。分かる?」
「分かんない」
ルーラシアはそう答えて傷口があるであろう腹部を軽く触ってみた。巻いている布のせいで傷の存在が確認できないものの、傷口をえぐるような痛みがないことだけは認識できた。
「……治療、してくれたの?」
「外見上は」
ラヴィと名乗ったトカゲはきざったらしく拳を握って親指を立て、ついでにウインクを彼女に送った。非常に好意的なようだ。
ルーラシアは怪我した所に巻いてあった布を取り払った。
薄いグレーの布は血と泥で赤黒く染められてどす黒くなっていたが、その下にある傷は確かに塞がっていた。ただ血がこびりついて汚くなっているだけだ。
「……ありがと」
「いやいや!」
ラヴィは照れくさそうな様子で頭を掻きむしった。短い手は頭にギリギリで届くようだ。
ルーラシアはそれを見つつ、布を腰の位置に縛り直し、槍を降ろした。
腹部はまだ痛むものの、耐えられないくらいではない、と思う。
「あ、中は治りきってないから下手に動かない方がいいよ」
「そう、みたいね……」
ルーラシアはうめきたいのをこらえながら静かに腰を下ろし、そこにラヴィが容赦なく尋ねる。
「……えっと、アンタの名前は? やっぱこうして出会ったのも何かの縁な訳だし」
「そうね、……あたしはルーラシア。ここら辺の海で海賊やってるの。そこで寝てるライカと一緒にね」
「ふ〜ん。つまりアンタは海系の名前を持つ姐さんってことか……」
「え? 何で?」
ルーラシアは不思議に思った。ルーラシアという語を分解しようとするまいと、その中に海の生物や地名、また船の名も見あたりはしない。少なくとも彼女の知識内には。
……とにかく疑問だ。
「だって、“ルーラ”っていうのはオイラの住む所の“潤いの女神”の名前だし、“シア”は“海”っていう意味だからね」
「ふ〜ん。博識なのねぇ」
ラヴィが語る理由は真偽はともかく説得力自体は充分なほどにあった。
しかも嬉しいもので、自分の名が“海における潤いの女神”というものだと聞くと、どうも自分がわずかに偉い存在なんじゃないかとも思えてきて、自信がつくというものだ。
「……でもさ、姐さん達って海賊なんだろ? 何でこんなとこにいるんだい?」
確かに、ラヴィの言うことは正論だった。
ここは海から遠いとは言えないものの、港からは遠い丘陵地帯である。普通は海賊といった職業の者達が出歩いたりする場所ではない。
「ああ、それは――」
「アタイが説明してやるよ」
「「!?」」
突然、ルーラシアとラヴィの会話は両断され、いつの間にか彼らのすぐそばにライカが立っていて、腕を組んでいた。
……刀が仕舞われている所を見ると、警戒はそこまでしていないみたいだ。
「……ライカ、いつ起きたの?」
「ついさっきだ。お前がこのトカゲに礼を言ってる所あたりからな」
ライカはそう言いつつどかりと地面に腰を下ろし、あぐらをかいた。どうやら女という自覚よりも海賊であるという自覚が勝っていて、羞恥心とかいうものが少し欠如気味らしい。
「……お前ら、ずいぶん気が合うみたいだな」
「そうねぇ。ライカも一緒にどう?」
「サービスするよ?」
「何のだ!!」
ライカはそう叫び、すぐに溜息を漏らした。どうやら一気に疲れたようだ。
明らかに原因はラヴィなのだが、どうやら彼(?)自信は気付いていないらしい。
「んで、てめぇは何様なんだよ黒トカゲ。魔獣とかのたぐいじゃないだろうな?」
ライカは誰がどう見ても警戒しているのが明らかだった。
表情は呆れ気味であるものの、いつでも刀を抜けるように手をかけている。
「……オイラ、そんな低能な存在じゃないッスよ。アネゴ」
「ならいいんだけどな……」
ライカは険しい目つきでラヴィを睨む。相手が小さくても容赦をする様子もなく、疑念を最大級の力でぶつけ続ける。
しかし当のラヴィは、そんなものどこ吹く風といった様子だ。
「まぁまぁ。海賊の人たちとやり合ってもオイラには何の得もないんだよ? しかもアネゴはかなりの実力者でしょ? その顔の傷で分かるんだからさぁ……」
「そ、そうか……」
ラヴィが手をぶんぶん振りながら懸命に説明する姿を見て、ライカは刀にかけていた手を引っ込め、同時に口元を軽く綻ばせた。
「ライカったら、疑いすぎでしょ」
「そうみたいだな。アタイも今分かった」
ルーラシアがそう言ってライカに笑いかけると、ライカも口元を上げ、にやりと笑った。
多分、もうライカの疑念は解けているだろう。じゃないと、まだこうやって笑ったりはしないはずだ。
「……でもな、1つ言わせてもらっていいか? 黒トカゲ」
「へいへい」
ライカの言葉を受け、ラヴィは軽い欠伸をかました。真面目に聞く気があるのかどうかは不明なところだ。
「アタイをアネゴと呼ぶのはやめてくれないか?」
「……へ?」
ラヴィは鳩が豆鉄砲を食ったように目を点にしてライカの方をぼーっと見ている。
しかしルーラシアは「またか」という慣れきった表情でライカに面白くなさそうな視線をとばし、ライカは言葉を続ける。
「アタイをアネゴと呼ぶな。むしろ――」
「オカシラと呼べ。だって」
「…………」
ライカはルーラシアの言葉のあと、黙り込んでつまらなそうな顔で、ルーラシア達から目を背けた。
どうやら自分の言葉をルーラシアに先取りされたことがよっぽど悔しいらしく、ライカは歯がみしつつ少しだけうつむき加減だった。
「……う〜っ」
その中ラヴィは具合が悪いのか何なのか、目をぎゅっと閉じて軽いうなり声を上げている。
しかしその声は見た目から連想するような獣などの人ならざる存在ではなく、どちらかというと物心ついたばかりの子供が欲求を全力で抑えようとしている仕草に近しい。
「……ちょっと、ラヴィくん?」
ルーラシアが不安に駆られて声をかけ、ラヴィの小さな肩を軽く叩く。すると、ラヴィは本物のトカゲのようにぬらりと身を起こし、つぶらな瞳をらんらんと輝かせた。
「いやぁ、女海賊とはカッコいいもんだ!! しかもオカシラがアタイキャラなのもグッドだし、顔に傷とかいうアウトロー・スタイルまで完璧に備えてるとか、ポイント高すぎだよ!!」
「「…………」」
「でもって大量の手下を引き連れててさぁ、『行くぜ野郎ども!!』とか大声を張り上げて、世界に広がる7つの海を巡ってさぁ、帆にデカデカと描かれたドクロのマークが畏怖と権力を示して、姿を見せただけで相手が恐れおのの――」
「かねぇよ!!」
ライカはうっとうしそうにラヴィの言葉をぶった切った後に、景気づけの如く自分の右膝側面を叩いて、大声で言葉を放出し続ける。
「しかも、アタイの船はドクロなんていう悪趣味なもんを帆に描いたりはしねぇんだよ! しかも7つの海とか訳わかんねぇ。海賊ってのはそんなに他の海に出向かねぇし、自分のテリトリーってもんがあるんだ。その歪んだイメージはどこで聞いた与太話なんだよ!?」
「ほ〜んと、けっこう心外なんだから」
ルーラシアとライカは容赦など微塵もなくラヴィに彼の意見の矛盾点を叩きつける。……というよりも、彼の意見の後半のほとんどを否定している。
……というのも当然の話だった。
ラヴィは知らないようだったが、彼女たちが暮らしているセレス海ではドクロというのは航海における禁忌とされ、船の沈没や座礁などのとてつもない負のイメージをばらまくものという認識が根強い。
しかしそんなことを全く知らないラヴィにとって、彼女たちの否定文は衝撃だったようだ。地面に向かっていじいじと指で何かを描くように爪を動かしている。
「……イメージって美しいね」
「……そうね」
ラヴィがうなだれると、ルーラシアはその傍らにひざまづいてその小さな肩に手を置いてやった。
トカゲのくせに温かく、見た目にそぐわない体温を持っているようだ。少なくとも普通のトカゲでないことは確定事項だ。
「……でもね、『行くぜ野郎ども!!』のくだりは限りなく正しいのよ」
ルーラシアは優しく声をかけてやる。まるで小さい子供を扱うかの如く肩をさすってやっている。
するとラヴィはくるりとルーラシアの方に顔を向け、少し消沈した様子で口を開いた。
「証拠、見ていい?」
「……つまり、船に連れてくってことよね?」
「うん……」
ラヴィはゆっくりと頷き肯定の意を示す。大きな頭が地面に着きそうになったものの、あとちょっとの所で着かなかった。
そしてそれを見届けたルーラシアはライカにその顔を向け、「どう?」と聞くかのごとく首をかしげた。
するとライカはほんの少し苦い表情を口元に浮かべたものの、すぐに小さく頷いた。
「うん、オッケーだって。ライカに感謝しなさいよ?」
「うん。オカシラ、ありがとね」
ラヴィはそうライカに礼を言うと、ふわりと宙に浮かび上がった。しかし翼を微動だにさせていないので、どうやって飛んでいるかはまったくもって分からない。
ルーラシアとライカの両名はラヴィの浮遊をまじまじと見つめ、そしてラヴィはいきなり何かに気付いたかのように翼を動かし始めた。するとラヴィに注目していた2人はさらなる疑いの目でラヴィに視線を注ぐ。
「……なに? オイラの顔にゴミかなんかついてる?」
「……いいや」
ライカはそう答えつつも宙に浮かぶトカゲをジト目で見つめ続ける。もちろんルーラシアも一緒に。
「……変わった飛び方するのねぇ。羽が動いていなかったのに……」
「……そ、そりゃあね。原理はあとで説明するから」
「楽しみにしてるわ」
ラヴィは小さな体全体から嫌な汗を流していた。まるで触れられたくない秘密に触れられたように。
一方ルーラシアは意地の悪い笑みを浮かべ、ライカにその顔を向け、ライカもしてやったりという顔でルーラシアに返し、力強く立ち上がった。
「んじゃ、こんな辛気臭い所はさっさとおさらばしようぜ」
「さんせ〜い!」
ライカの号令にルーラシアは楽しそうにしながらも、走る痛みに口元を歪ませながら立ち上がった。
「…………」
しかし脂汗を流しつつ宙に浮かんでいるラヴィは一言も発することなく、非常に気まずそうな空気を纏っていた。
しかも、今回は彼を励ましたりする者は誰もおらず、孤立無援だ。
「……オイラ、解体かなんかされちゃうかも」
ラヴィが誰にも聞こえないように小さな声で呟くと、小さく溜息をついた。
彼女たちを助けたことを後悔するのには、あまりにも遅すぎるタイミングだった。
「あきらめな。お前の負けだ」
「……そうだね」
ライカがそうラヴィに告げると、ラヴィは力なくふらふらと宙を移動し、歩き出したルーラシア達に続いた。
まるで風に漂う洗濯物のような彼は、数日間放置すれば立派な燻製にでもなりそうだった。