8th 汚れたうっかりが訪れた街


 旅をするのに必須のこと。それは旅する人によって様々な違いがあるだろう。
 例えば武器とか、例えば食料とか、例えば馬などの動物とか。旅する者によっては答えは大きく異なってくることもある。
 そして、ルーラシア達が今回出した結論は、洗浄だった。
 別に彼女たちは別に体を洗ったりしていないわけではない。問題は体ではなく、それを覆う衣服の方だ。
 いくらからだが清潔でも、土の汚れた衣服をずっと着ていることを好むものは、いるかも知れないが決して多くはないはずだ。
 しかもルーラシアは特に衣服の臭いを気にしていた。
 いつも着ているぴっちりとした服とマントは泥に汚れて茶色く変色していたし、そこからうつったのか蒼く長い髪も濁って見えるのがとにかく気に食わないらしい。
 ……そんなわけで、偶然見つけた街に寄ることになったのだが――



「ホントいい根性してるわよね、あたし達」
「……まさか金欠に気付いてないとはねぇ」
 街のほぼ中心。無造作に積まれた四角い岩に座り込んだまま、ルーラシアとコルトはがっくりと肩を落としていた。
 財布、というより懐自体が空っぽ。荷もほとんど無く、現地調達でやりくりしていた彼女たちは、どうやら人の住むところから離れすぎていたせいで、金銭というものの重要性が抜け出てしまったらしい。
 しかも情けないことに、旅の経験があるコルトがついていてこの有様である。
「物々交換の取引って通用すると思う?」
 うなだれたままコルトはルーラシアとラヴィに尋ねてみる。一応旅の経験からか、諦め自体はかなり悪いらしい彼は、荷を探りながらめぼしいものを探していた。その様は何というか、悪足掻きにしか見えない。
 そこに答えが返る。
「あたしの手持ちには期待しない方がいいわ」
「通用するだろうけど、手持ちによるね」
 1人と1匹の答えは決して良いとは言えないもので、コルトは小さく溜息をこぼす。
 このままでは街中で野宿だ。
 手持ちの食料も心許なく、道行く人の目にさらされて眠ることは、よっぽど図太く頑強な神経でもしてない限り、非常に恥ずかしい。
 しかもルーラシアに至っては女である。
 いくら荒々しくて、海賊とか言って、力がバカみたいに強くて、実力行使が好みの直情な性格だからって、視覚的には年頃の女。むしろ少女といっても全く差し支えのないうえ、多分、美形に入るかも知れない容姿の持ち主だ。
 そんなものを街中で野宿などさせようもんなら、ただの野郎が街中で寝転がっているよりも目につきやすい。はるかに。
「コルトは旅してたんでしょ? このくらいの危機なんてどーんと吹っ飛ばしてよ。じゃないと、この旅に耐えきれないわよ」
「こんな理不尽な旅は生まれてこの方やったことないよ! 俺も充分悪いことは分かってるけどさ、ルーだって多少は責任とか、解決法とか、何かしら考えてくれよ。俺、頭なんて全然良くないんだからさ」
 コルトは半ば自棄になったように、文句をぶちまける。もちろん全部本音じゃなく、多少は抑えてはあるようだ。しかし厳しい言い方には変わりなく、ルーラシアは「あら……」と反省してるのか疑わしい呟きを漏らして、何というか感心でもしているかのようだった。
 そんな彼女の荷をコルトは無造作に奪い取った。
 別段悪意はなく、控えることもなく、苛立ちを僅かに織り交ぜたかのように。
 ただしかし、とても自然な彼の動作にルーラシアは、何も反応が出来なかったようで、いつの間にか手元から消えている荷に不思議そうな視線を送っているようだった。
 そんな彼女にコルトは言う。
「……ちょっと荷物見せて。場合によっては使えるものとかあるかも知れないから。……まぁ、俺の荷物は好きに見ていいからさ」
「……う、うん」
 有無を言わせない様子でコルトが投げ渡してくる荷を受け取り、ルーラシアは目をほんのり大きくしつつ、コルトの様子を控えめに覗う。
 それは今までの彼にあるまじき強引な行為だった。
 気は優しくて優男。どことなく矛盾した彼の性格だが、それは正鵠を射ていた。
 “ステイツ・ハート”という集団の中では、多少お調子者の面もありはしたが、言われたことはきちんと――例え手を抜いていたとしても――文句も言わずにやる性分。そう周りに認識されていたのだ。
 しかも無茶や、強引なことは全くやる事が無く、大人しい怠惰性を漂わせているというのが正しい状態だった。
「意外としたたかなのね」
「……オカシラやルーを見てたら嫌でもそうなるよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
 ルーラシアの言葉に、彼女の荷を探るコルトはまた肩を落とした。肩すかしを食らったというのが正しいのだろうか。どうやら彼は言葉に、ほんの少しの嫌味を込めていたらしい。
 そして程なくして、コルトはルーラシアの荷を探り終えたのか、それを彼女に返す。今度は投げず、手渡しだ。
「……食料から削ろうか」
 コルトは諦めたようにルーラシアに提案するも、ルーラシアは全力抗議の眼差しを彼に向け、文句をすぐにでも、湯水のように流せそうな顔つきだ。
 そんな彼女にコルトはすこし体を後ずさりさせつつ、また続ける。
「野宿したい?」
「……嫌に決まってるでしょ」
 結論は意外とすっきり出たようだった。



「……そうかい。お嬢ちゃんも苦労してるんだねぇ」
「……同情するような目が痛いんだけど」
 ルーラシアと宿の女将はカウンター、というか受付の裏手にある小さい部屋で会話を交わしていた。
 ルーラシアの、猫を連想させるような、しなやかで細い体は、女将の体型とは真逆までも行かないが、女将の恰幅の良さと比べると、細くてすぐ折れそうな印象を与える。
 ……結局ではあるが、食材を削りはしたものの宿代は足りなく、交渉の結果、下働きをすることを条件に泊めてもらえることとなったのだ。期間は1週間後まで。
 1週間という期間はどうやら女将の希望と情報によるもので、宿は人手を欲し、彼女たちは金を欲した(女将の好意で少しの給金を出すらしい)。その上、女将の話によると、1週間後に“サムエル”という街へと向かう馬車が出るらしいため、それに乗ることを勧められ、彼女たちにも都合が良くなった、というのが理由である。
 ついでに、この宿を訪れたときの汚れ具合が酷かったせいで、まず一行が揃って水浴びと服などの洗濯をさせられ、しかも下半身を覆うためのだぼついたズボンと、タンクトップを貸し与えられているのは、これもまた女将の好意だろう。
「でも、いいの?」
 ルーラシアは女将に尋ねる。
 労働力を提供するとはいえ、給金付き、屋根付き、部屋付き、ベッド付きなど、どう見ても宿側から見て割に合わないはずだ。こんな不経済なことは、商業に携わる者なら恐らくしないだろう。
 ただ女将はそうではないらしく、ただ楽しそうに、まるで青春している女の子でも見るような目つきで、ルーラシアへと笑みを向けている。
「いいんだよ、あたしからの餞別とでも思ってくれればね。ついでに彼氏にいいところでも見せてやんな」
 女将がそう言ったからだろうか。ルーラシアの頬は普段にない紅みをみせていた。
 彼女も純情な性格なのだろう。しかし、そうでもないようだ。
「もう、おばさんったら。あいつは彼氏なんて大層なもんじゃないわよ。ただの旅仲間だって」
「……そういうことにしておいてあげようかね」
 意地悪っぽく、ニヤニヤと笑う女将は、新しい楽しみでも見つけたかのようだった。



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