9th  待機する街


 どうやらこの時期は宿にとって客の入りがいい時期らしい。ルーラシアはそう結論づけた。
 現在この宿を利用している客は、彼女たちを含めて19人。8部屋しかないこの宿では満室状態で、彼女たち一行が相部屋にさせられているほどだ。
 しかも、ルーラシアは女将が満室を理由として客を断ったのを何度も目撃している。つまり、需要があるということだ。
「おばさぁ〜ん、薪割り終わったわ。次は?」
「あらあらたくましいねぇ。彼氏とは大違いじゃないか」
「あら、おばさんったら」
 このように元気なルーラシアや女将とは対照的に、コルトは大人しく、じゃぶじゃぶと食器の洗浄を続けていた。
 もともとルーラシアはコルトよりも力とか体力とかが比較にならないくらい強いのだが、女将はそれを知らない。つまりコルトがだらしなく見える。そういった寸法だった。
「やけに疲れてるわねぇ。寝不足?」
 ルーラシアは、厨房に籠もって仕事中のコルトにからかうように声をかける。
 どうもルーラシアは順応というものがとても早いらしく、宿での働き込みも余裕で対処できるようになっていた。
 しかし、コルトはそこまで適応力が高くないらしく、現在に至る。
「寝てはいるよ。っていうか、睡眠はルーより長いでしょ、俺」
「そうなのよねぇ、……おっかしいの」
 ルーラシアは言いつつ、コルトの隣に立ち、まだ洗い終わっていない食器を手に取り、それを洗い始めた。
 じゃぶじゃぶといった規則的に近い音が、微妙に重なってひときわ不規則になる。
「……ルー?」
「もうやることなくて暇なのよ」
 ルーラシアはそう言って小さいあくびをかましながら、手を動かし続ける。流石にこういった雑用を海賊にいた頃からずっとやっていたコルトには及ばないが、それでも手は遅くない。
 しばらく沈黙の寝転がったまま、食器洗いは続く。
 そこは遠い喧噪と、水を扱う2人の作る水音だけが支配する静かな空間だった。
 それは海賊時代に住んでいたミクロセントでは絶対に無い時間だ。
 ミクロセントという島では、どこにいても波の音と鳥の声が耳に入ってくるのだから。そして、そこでの波の音は心を落ち静める母なる響きとなり、心身に染みついた自分のバイオリズムに近しいものである。
 だから、それがないこの空間は落ち着かないらしく、ルーラシアは食器を洗う動作に、徐々にではあるものの退屈さを感じてきていた。
「……ねぇコルト」
「ん?」
 痺れを切らしたようにルーラシアが口を動かす。
「あたし達って恋人同士みたいに見えるのかしら」
 彼女が言い終わるが早いか、コルトの持つ皿が、水音と共に食器洗い用の桶に沈んだ。
 彼は慌てて皿を拾い直し、また手を滑らせた。もちろん皿はまた水の中である。また、今度はコルトの服に多少の飛沫を飛ばすおまけ付きだ。彼はうつむき、また水中の皿に手を伸ばす。しかし今度は上手く掴めなかった。
 ルーラシアはそんな彼の様子に疑問を抱き、彼の顔をのぞき込んでみる。するとすぐ、ぷっと噴きだした。
 するとそれが気分を害したのか、コルトは顔を上げて口を開いた。
「何がおかしいのさ」
「可笑しくもなるわよ。凄い露骨に照れてんだもん」
 そうなのである。コルトの顔はルーラシアが指摘するように真っ赤になっていて、“顔に火がつく”といった表現が正しいことをこれでもかというほど示している。ただ、裏を返せば彼がそれだけ純情なのだが、そんなことを気にする人間は、少なくともここにはいなかった。
「そんなんじゃ、大きな男になれないわよ。恋人に見られて嬉しいのは分か……どうかしら? まぁ、そう間違われて動じないくらいの気概が欲しいわね」
「……ルーは気にしなさ過ぎるんだよぉ」
 コルトは情けなく声を上げ、皿を拾い上げる。今度は落とさなかった。
 そのままふてくされたように彼は作業を続ける。頬は相変わらず赤いまま、ぶつぶつと何かを言っているようではあったが、ルーラシアはそれを気にすることなく作業に戻る。その顔には少々の笑みが浮かび、さっき感じていた退屈さが解消されているようだった。
「可愛い奴」
 ルーラシアもコルトのぶつぶつ声に対抗するように、小さく呟いて作業に戻る。
 食器を洗うだけの作業が終わるまで、さほど時間はかからなかった。


 この街にはいくつものエリア分けが成されている。
 街の所々に置いてある地図を広げてみれば誰にでも分かるのだが、ここは川の蛇行を利用した扇状の形をしている。
 その中を3つのエリア――農地、商売用地、漁業用地――というふうに分けられているらしく、またそれぞれのエリアは赤青緑と色分けされている。そのうちの青いエリア、商売用地に彼女たちはいた。ちなみに赤は農地、緑は漁業用地らしい。
「携帯食料と助燃剤、あとは何かいるかしら」
「う〜ん、多分大丈夫じゃないかな。ファルケにはあんまり喜ばれないけど、……我慢してもらおうか」
「……ファルケ、不憫だね」
 意見を交わしながら街中を歩く。
 現在は休憩時間。というか、やることが無くなったために生じた自由時間である。
 どうやら彼女たち2人の働きぶりは女将の予測以上だったらしく、若いのに凄いねぇ、と感心されて、こうして街を見る時間を与えられたのだ。
 また、買い物をしていない彼女たちにもその提案は好都合だった。
 制限時間は日が落ちきるまで。……厳密に言うと、西の山に日が隠れるまでらしい。
 そして現在は日が傾いて、もう少しで西の山にかかるかどうかというくらい。時間は余り残っていない。
「おばさんの言ってた時間って、もうちょっとね」
 ルーラシアは近くの家の屋根を見て言う。日はその屋根を橙色に染め、夜の訪れの時期を予告しているかのようだ。
「……また晩飯配りに駆り出されるんでしょ。個人的にはあんまり帰りたくないなぁ」
 コルトはうんざりしたように漏らす。どうやら彼にとってはあまり好ましくない作業らしいが、口元が少しだけ笑っているため、本気で嫌がっているわけではなさそうだ。むしろ、少し楽しみにしているようにも見える。
 うわぁ、コルトさん完璧にMだ。ラヴィはそう思ったが、口に出すのはやめておいた。
 その代わりとしてか、ルーラシアが口を開く。
「一宿一飯じゃないけど、恩義があるでしょ? それに、この金はどっから出たものか、分かるでしょ」
「だねぇ。……感謝しなきゃ」
 コルトはまた小さく笑い、少し憂いの混じった目で行くべき方向を見据える。遠い景色を見るようなその眼差しは何というか、自虐的にも見えなくはない。
「なんか、女将さんがオカシラに見えてきたかも」
 コルトが言う。するとルーラシアはその発言を受けてしばし黙考し、小さく頷く。
「あれで剣でも振り回したら完璧ね。海賊向きだわ、あのおばさん」
「右に同じ〜」
 ラヴィも続けて肯定し、ファルケも大きく頷く。すると2人と1匹はそれぞれの口から笑いをこぼし、宿の方へと足を進めていった。
 馬車が来るまであと3日。彼女たち一行の生活は、充実していた。


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