2nd  崩れるシフトダウン


 薄着では肌寒いくらいの平和な昼下がりに、大きな機械は大地を蹴って重い歩を一歩ずつ進めていた。
 その姿は森に住む獣をそのままの形でスケールアップしたような形で、胴体と頭部に当たる二つの部屋は狭い通路で繋がれ、足はまるで虫のように長く、側面の前部と後部に2本ずつ突き出した形だ。
 機械はその名をトロイといった。
 正式名称は、先行試作型他区域用四足駆動系走覇システムTZ-06というのだが、長すぎる名前と見た目上の問題から“トロイ”もしくは“06(ゼロロク)”と呼称されることが多い代物である。


 そのトロイは現在森林地帯を移動中だ。
「……きれいな森ですね」
 側面の小さな窓から1人の少女がトロイの外に広がる森をのぞき込んでいた。
 機械に覆われた右頭部や背中に取り付けられている3枚のウイングのような形をした機械、そして完全に機械化された右腕や、4本の足などという人混みの中でも確実に見つけ出せるレベルの身体的特徴を備えている。
 少女の前を森林が織りなす緑が通り過ぎていく。
 彼女は過ぎゆく緑を目で追い、また新たな緑を目に取り込んでいく。
「いつかこんな森でのびのびと過ごしてみたいもんですね、ルルドさん」
「ええ。そうですね」
 少女が室内にいる背が高い男に声をかけると、男も別の窓から外の緑を見つめた。
 そのルルドと呼ばれた男は、優男という言葉が似合いそうなほど細身で、身長が高い男だった。
 小さいレンズの眼鏡をかけ、穏やかな目つきが印象的な好青年と言えなくもない外見の持ち主である。
「でも、それにはまずこの任務を終わらせなければなりませんがね」
「……そうですよね」
 ルルドが少女に微笑みかけると、少女もルルドに笑顔を返した。それとともに少女の背中にある“翼”から少量の蒸気が噴出した。
 小さな窓が一瞬だけ曇り、すぐに曇りが晴れる。
 そしてルルドは窓の外から視点を外した。
「アリシア、そういえば……」
「はい? 何か問題でもあるんですか?」
 アリシアと呼ばれた少女はルルドの方に目を向けた。生身である左目はつぶらで愛らしいのだが、機械で覆われている右目は対照的に鋭角的で、内部に赤いカメラアイがあるため、初めて見る者には恐怖感を与えるだろう。
 しかしその目に慣れているのか、ルルドは驚きや恐怖感などは全く感じていない様子だった。
「昨日右腕に施した“電磁型動作補助コーティング”なんですが、違和感とかありませんか?」
「はい。腕が軽くなったように感じる以外には」
「それはそれは。ならもう一度重くしてみましょうか」
「ふふふっ、このままがいいです」
 アリシアが口元をほころばせると、ルルドも口を緩ませ、室内の隅に固めてある小さな機械の群れのそばに移動し、しがみつくようにしてその機械群を押さえ込もうとする。
 それと同時にアリシアはルルドの方を見つめ、まるで面白いアトラクションでもあるかのようにほほえんでいた。明らかにルルドを手伝うそぶりはない。
「これでよし。……ライナス、一度トロイを止めてもらっていいですか?」
 ルルドは機体前部にある操縦室に向かって大きな声を上げる。
 恐らく普通の音量では届かないのだろう。ライナスと呼ばれた者の声も同様に音量が大きく低く、ライナスという人物が男であることを容易に想像させる。
「止めるぞ、揺れるからな!」
「分かりました!」
「お願いします!」
 ライナスの言葉にアリシアとルルドの2人が返答すると、操縦席のライナスは2人に聞こえるようにしてカウントダウンを始めた。恐らく彼なりの配慮なのだろう。
「3,2,1、……止めるぞ!」
 ライナスの言葉が2人の耳に届くが早いか、トロイの巨体はガクンと急激にスピードを失った。
 それと共に内部にいる三人に慣性による衝撃が押し寄せてくる。
 アリシアは4本の足で懸命に踏ん張り、その目の前でルルドがまとめた機械類が崩れていき、機械の群れを支えるルルドを容赦なく飲み込んでいく。まるで雪崩のように。
 ばたばたともがくルルドだが、機械類の重量は重く、彼の力ではどうにもならないようだった。
 一方アリシアはその様を見てずっと口から笑い声が漏れるのをこらえ、しばらくして笑い声を飲み込み終えた後にルルドの体を機械群から引っ張り出す。右手一本で軽々と。
「……ルルドさん、少しは懲りて下さいよ」
「ははは、考えておきます」
 アリシアの手に衣類のように吊されたルルドは、さっきまで存在しなかった擦り傷を至る所に負って頭をガリガリと掻いた。それと同時に機械に積もっていたと見られる埃も飛び散っていく。それにアリシアはほんの少しだけ顔をしかめた。
「……で、怪我の方はどうなんだ?」
 ライナスは呆れつつアリシアに尋ねた。いつの間にか操縦席から彼女たちのいるこの部屋まで移動していたみたいだ。
 アリシアは機械化されているセンサー内蔵の右目でルルドの全身をくまなく見つめている。
「呼吸、脈、内臓やその他の器官も問題ないです。外傷は、……見ての通りですね」
「……そっか。ありがとな」
 ライナスはアリシアの診察(スキャンというのが正しい)の結果を聞き、「またか」と言わんばかりにあきれ顔を継続させ、同時にアリシアの小さな頭に手を乗せて小さく撫でた。それは彼なりの不器用な愛情表現だ。
 しかしアリシアはほんの少し不機嫌そうな表情になるのを押さえているようだった。どうやら頭を撫でられるのが苦手らしい。
 そしてそれが見えていたのか、ライナスはすぐにアリシアの頭から手をよけ、溜息をついた。
「……俺たちが面倒見るべき小娘に逆に面倒見られてどうするんだよ」
「まぁまぁ。彼女の能力を開発するのも悪い事じゃないでしょう?」
 引っかかった服を通り越し、もはやボロ雑巾のようなルルドは悪びれた様子もなく、少し引きつった笑顔をライナスに向けた。反省などは全くと言っていいほどないらしい。
 傍観者となったアリシアは噴きだすのをこらえているのか、空いた左手で口を押さえている。
 ……さりげなくルルドを降ろす気はないらしい。
「だいいち、あんなガラクタは処分しろって言わなかったか?」
「僕は聞いた覚えがありませんが……」
「……それってルルドさんが聞いてなかっただけですよね」
 とぼけてみせるルルドにアリシアは容赦なく突っ込みを浴びせた。やっぱり降ろす気はないみたいだ。
 ルルドはボロ雑巾の状態を継続しつつ、苦い笑いを浮かべている。もう余裕の色はどこにも見あたらない。
 ライナスはまた溜息を漏らし、ルルドに尋ねる。
「まぁそれについては今度にしてだ。どうかしたのか?」
「……いやぁ、アリシアの出力機構をいじるつもりだったんで、ここでの野営を提案しようと思ったんです」
 ルルドは宙づりになったまま人差し指を立てた。彼特有のクセだ。それよりも、まだ降ろしてもらえていないらしい。
「そうか。……そうだな、分かった。野営するか。時間はたくさんあるんだしな。ただ……」
「……? ただ?」
 不思議がるルルドがライナスに尋ねると、ライナスはジト目でアリシアの顔を見つめた。
「おい小娘、いい加減に降ろしてやれよ。ルルドが哀れに見えてきちまう……」
「……はぁい。了解しました」
 アリシアは少しつまらなそうに返答し、ルルドを降ろしてやった。これではルルドの服が伸びてしまうのは避けられないだろう。……哀れなものである。
「アリシア、もうちょっと手加減を頼みますよ」
「次からはそうします」
 アリシアは生身である顔の左側を綻ばせてルルドに笑いかけた。
 それは意地の悪い微笑みで、遠回しに「またやる」と宣告されたような気分を彼に与える。
「……これでは僕の立場というのがないようなものです」
 ルルドは誰にも聞こえないように小さく呟くと、小さな眼鏡の縁をくいと押し上げ、適当な位置に戻した。


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