3rd 止まった木馬の中で


 彼女が目を覚ましたとき、雨の音が耳に入ってくるのが分かった。
 大気の温度を確認。現在の気温は14℃しかないみたいで、朝だからか冷え込みが少し強いみたいだ。
 首を動かし、トロイの室内を見回してみる。
 あまり丈夫そうではないテーブルに、椅子が3つ。そして部屋の隅には鉄くずに擬態しているみたいなガラクタがその場所を占拠していた。そして、椅子にはルルドが足を組みながら腰掛けていて、テーブルの上には湯気を放っているカップが置かれていた。
「あ、おはようアリシア」
「おはようございます」
 ルルドは落ち着いた様子でアリシアに声をかけ、カップを口に運んだ。
「……今日はこのまま待機ですか?」
「ええ。下手に動くのは得策じゃないですから」
 ルルドはそういいつつ失笑を浮かべて、室内にあるベッドの1つに目を向けると、彼女もそれに続いた。
 そこではライナスが平和そうにいびきをかいているのがよく分かった。
「しかし、待機中というのは硬い言い方だとは思いませんか。せめて――」
 ルルドはアリシアに向けて人差し指を立て、ゆっくりと言った。
「……せめて休日といった方がいいですよ」
「そうかもしれませんね」
 アリシアはルルドにそう返し、控えめに微笑んだ。


 トロイの足は雨によって完全に止まっていた。
 理由は簡単。トロイはその正式名称「先行試作型他区域用四足駆動系走覇システムTZ-06」とかいう長ったらしい名前が示すとおり、先行試作型で、まだ整備などの仕組みが完全にできあがっているわけでなく、整備のしにくさと複雑さが量産へと続く大きな壁として立ちふさがっている、らしい。
 しかも、多区域用の走覇システムとかいう名を持っているくせに、大雨や砂漠といった条件下ではその行動が大きく制限される。表示に偽りたっぷりだ。
 ただ、その理由としては矛盾はない。足を動かす機構のところに砂や水が入ってしまい、機構自体に多大な負荷をかけてしまって、寿命や速度、ついでに出力系統にも大きな悪影響を与えてしまうらしいのだ。
「……不便なものなんですね」
「まぁ、試作段階だからな。完璧にはいかねぇさ」
 ライナスはアリシアの言葉に軽く一言返し、大きな欠伸をかました。マナーとかいうものはどこ吹く風といった様子だ。……必要はないけど。
 そして彼は部屋の隅っこで何かの機械の一部のようなものをいじくり回しているルルドに視線を移した。
 ルルドの表情はとても満ち足りているみたいで、しばらくすれば鼻歌でも聞こえてきそうな様子で手を動かし、とても楽しそうだ。ライナスやアリシアとは相反するみたいに。
「……退屈だな」
「ええまったく」
 ライナスがぽつりと呟くと、アリシアは即座に肯定し大きなため息を吐き出した。それはとても少女である彼女には似つかわしくない代物だが、狭い閉鎖空間の中に何も出来ずに缶詰にされたら溜息の一つや二つは出ても仕方のないものかもしれない。
 そしてアリシアが溜息をはきだした直後に、今度はアリシアの背中についている翼のような放熱装置“ルシファー”も蒸気を周囲にまき散らし、その蒸気がライナスの体に直撃する。
「おい。ただでさえ湿気が多いんだから湿度を上げるような真似すんなよ」
「仕方ないじゃないですか!! ほっとけばいずれオーバーヒートの危険性もあるんですから!」
 湿気をうっとうしそうに払いのけるライナスにアリシアはかみつくように言い放つ。
 しかし、彼女のいうことが正論だということはライナス自身にも分かりきっているので、ばつが悪そうに一言「悪い」と彼女にいうと、腕を頭の上で組み、自身のベッドに背面ダイビングを決め込んだ。
「寝る!!」
「お好きにどうぞ」
 ルルドはそんなライナスに冷たく言い放つとまた黙々と作業に戻り、ライナスの方はまた機嫌が悪そうにベッドの布団にくるまってルルドとアリシアに背中を向けた。つまりいうふて寝という奴だ。
 アリシアは、そんなライナスをほんの少し羨ましそうに眺めていた。彼女には、現在眠気とかいったものが全くなく、布団にくるまっても寝られないのが分かっているのだ。
「……ルルドさん」
「ん?」
 アリシアはそんな様子のルルドに声をかける。するとルルドは機械をいじる手を止めて、アリシアの方に振り返った。
 アリシアは言葉を続ける。
「……時々ライナスさんが羨ましくなったりしません?」
「しょっちゅうですよ」


 雨はさらに強くなった。もはやその勢いは雨といったものではなく、滝のそばで受ける飛沫といった方が正しいかもしれないくらいだ。
 トロイの中で暇をもてあますアリシアは、足下に転がる虫みたいなおもちゃもどきをじっと見つめている。
 それは数分前に彼女が破壊してしまったルルドの制作物だった。
 電力で動かされるその機械は、起動させる際、アリシアが与えた電気の電圧に耐えきれず、数歩だけ歩いた後に倒れたっきり動かなくなってしまったのだ。
 彼女はそのおもちゃもどきを拾い上げる。
「ルルドさん。これ……」
「あげますよ」
「そういう事じゃないです!」
「おや」
 ルルドはそういいつつ冗談臭く笑みを浮かべた。彼の手は真っ黒い汚れが染みついていて、本来の肌の色が何色だったか一瞬でも忘れさせてしまうくらいだった。
「……これ、もう動かないんですか?」
「ええ。おそらくは」
 ルルドは言葉を並べつつアリシアからそのおもちゃもどきを受け取り、軽くそれを眺めると、アリシアに返し、小さいレンズのメガネの端をくいと押し上げる。
「こういった失敗はよくあるもんですよ。……残念ではありますが」
「そうなんですか……」
 アリシアは残念そうに虫のおもちゃに視線を向けた。次の一歩を踏み出そうとしたまま動きを止めたその小さな機械は、もう二度と動くことはないだろう。
 彼女は虫のおもちゃをテーブルに立てようと試みた。しかしバランスが悪いのか、すぐに倒れてしまった。足を踏み出したままの体勢では足が6本あっても意味を成さないこともあるようだ。
 アリシアはその虫の足を丁寧に直してやって、またしても立ててやる。――今度は成功した。そしてルルドに尋ねる。
「ルルドさん。これって……」
「トロイの改良点を見据えた模型ですよ」
 ルルドは優しくアリシアに返した。少し残念そうな顔をしてはいるが、それ以外には何も問題なさそうな落ち着いた顔だ。怒るようなことも、また心苦しそうなものも何もなく、外に出ようものなら降り続く雨にさえ全て洗い流されるような聖人に近いものだ。そして彼はまた口を動かす。
「……まぁ、今のところ考えるだけ無駄ですがね」
 彼は自嘲的に笑った。見方によっては痛々しくも見える笑みだった。
 アリシアはそんなルルドの顔を知っている。そして彼がどういった精神状況なのかもハッキリと、本能的に感じていた。
 ――彼は無理をしている、と。そして彼女はルルドに言う。
「すいません。眠くなっちゃったんでちょっと寝ますね」
「ええ。付き合ってくれてありがとう……」
 ルルドがそう返すと、アリシアは重い4本足を引きずるように自身のベッドへと歩を進め始めた。
 その様子を見ながら、ルルドは口の中で言葉を転がす。
「……僕もまだ子供なんですね」
 その言葉はジメジメした空気に乗ることなく、ルルドの喉へと溶けて消えていった。
 彼は「いつこの雨がやむのだろう」と思った。


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